養生訓 第一章

貝原益軒

  いつく
命を慈しむ

命は天地の賜物

人の身は父母を本(もと)とし天地を初めとす。天地父母の恵みを受けて生まれ、又養われたる我が身なれば、わが私の物にあらず。天地の御賜物(みたまもの)、父母の残せる身なれば、謹んでよく養ひて、そこなひやぶらず、天年を長く保つべし。
養生の術を学んで、よく我が身を保つべし。是人生第一の大事なり。人身は至りて貴(たっ)とくおもくして、天下四海にもかへがたき物にあらずや。然るにこれを養なふ術を知らず、慾を恣(ほしいまま)にして、身を滅ぼし命をうしなう事、愚かなる至り也。身命と私慾との軽重をよくおもんぱかりて、日々一日を慎み、私慾の危うきをおそるる事、深き淵に望むが如くならば、命ながくして、つひに殃(わざわい)なかるべし。豈(あに)、楽しまざるべけんや。命みじかければ、天下四海富を得ても益なし。財(たから)の山を前につんでも用なし。しかれば道にしたがひ身を保ちて、長命なるほど大なる福なし。

人の命は養生次第

人の命は我にあり、天に有らずと老子いへり、人の命はもとより天に受けて生まれ付きたれども、養生よくすれば長し。養生せざれば短し、然れば長命ならむも、我が心のままなり、身強く長命に生まれ付きたる人も、養生の術無ければ早世(そうせい)す。虚弱にて短命なるべきと見ゆる人も、保養良くすれば命長し。是皆、人の仕業なれば、天にあらずといへり。
養生して天寿を保つ
万(よろず)のこと知とめてやまざれば、必ずしるしあり。たとへば、春種をまいきて夏よく養へば、必ず秋有り、なりはひ多きが如し。もし養生の術を努めて学んで、久しく行はば、身強く病無くして、天年を保ち、長生きを得て久しく楽しまん事、必然のしるしあるべし。此理(ことわり)うたがふべからず

養生とは「畏れる」こと

身を保ち生を養ふに、一字の至れる要訣有り、是を行へば生命を長く保ち病なし。親に考あり、君に忠有り、家を保ち、身を保つ、行なふとしてよろしからざる事なし。その1字なんぞや。畏るの字是なり。畏るるとは身を守る心法なり、事ごとにして心を小にして、気にまかせず過ちならん事を求め、常に天道を畏れて、つつしみしたがひ、人慾を畏れてつつしみ忍にあり。是畏るるは、慎みに赴く初め也。畏るれば、慎み生ず。畏れざればつつしみなし。故に朱子晩年に敬の字をときて曰く、敬は畏の字これに近し。

命の長短は生まれつきではない

人の身は100年を以期(もって・ご)とす。上寿は百歳、中寿は八十歳、下寿は六十歳也六十歳以上は長生きなり。世上人を見るに、下寿をたもつ人少なく五十以下短命なる人多し。人生七十古来稀なり、といへるは、虚語にあらず。長命なる人少なし五十になれば不夭(ふよう)と伝て、若死にあらず、人の命なんぞ此如くみじかきや。是、皆、養生の術無ければなり。短命なるは生まれ付きて短きにはあらず。十人に九人は皆みずからそこなへるなり。ここを以て、人皆養生の術なくんばあるべかざる。

求めれば得られる長命

世に富貴・財禄を貪(むさぼ)りて、人にへつらひ、仏神にいのり求む人多し。されどもそのしるしなし。無病長生を求めて、養生をつつしみ、身を保たんとする人は稀なり。富貴・財禄は外にあり。求めても天命無ければ得がたし。無病長生は我にあり、求むれば得やすし。得難き事を求め得安きことを求めざるはなんぞや。愚かなるかな。たとひ財禄を求めて得ても、多病にして短命なれば、用なし。

養生しないのは自害するのと同じ

凡の人、生まれ付きたる天年はおほくは長し。天年を短く生まれ付きたる人は稀なり。生まれ付きて元気さかんにして、身強き人も、養生の術を知らず、朝夕元気をそこなひ、日夜精力を減らせば、生まれ付きたるその年を持たずして早世する人、世に多し。又、天性は甚だ強弱にして多病なれど、多病なる故に、つつしみおそれて保養すれば、かへって長生きする人、是又、世にあり。此の二つは世間眼前に多く見られる所なれば、うたがふべからず。欲を恣にして身をうしなふは、たとえば刀を以て自害するに同じ。早きと遅きとのはかりはあれど、身を害することは同じ。

人の身は金石ではない

およそ人の身は、よはくもろくして、あだなる事、風前の灯火のきえやすきが如し。
危うきかな。つねにつつしみて身を保つべし。いはんや内外より身をせむる敵多きをや。
先飲食の欲、好色の欲、睡臥の欲、或いは怒り、悲しみ、憂いを以身をせむ。是等は皆我が身の内よりおこりて、身をせむ良くなれば、内敵なり、中について飲食、好色は、内欲より外欲引き入れる。尤もおそるべし。風・寒・暑・湿は身の外より入りて我をせむる物なれば外的なり。人の身は金石に非ず。やぶれやすし。